白いきりん

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ETV特集「映画にできること園子温と大震災」のメモ


10月20日から公開される園子温の「希望の国」の撮影を追ったNHKのドキュメンタリー

「希望の国」は原発事故を直接のテーマに据えた初めての商業映画だという


園は「いまこのテーマ(大震災、原発事故)を使わないでどうする」という
まさに日本の社会の一番の問題なのに、不謹慎だと、いまはそっとしておくべきだと、誰もが避けて見ないふりをしている

園は「数」という詩で、政治からこぼれてしまうものをすくいあげるのは芸術だと言っている
政治ができないことを、芸術がやれ、と
ドキュメンタリーでは何度もこのフレーズを使っていた


ただ、それが正しいことなのか、わからないとも言っていた

映画を作るために取材に協力してくださった方々に、出来上がったばかりの映画を見せる
それは、とても暴力的な行為だ、とわたしはおもう
地震、原発事故、避難生活、ばらばらになっていく家族、それは今も続くつらい現実
それをまた追体験させることになる

それをわかっていながら、映画を作った
取材をとおして親しくなった方々を傷つける、それが正しいのかわからない
その全部をひっくるめて、園自身も傷ついているのではないか、とわたしは感じた



震災前、園はエキセントリックな映画の監督だと思っていた
対談をしていたチンポムのパフォーマンスもそうだけど、なんだか過激で、ちょっと怖かった

震災の後、自分の生すらあやうく感じて、いろんなものがむきだしになっていく中で、この人たちは震災の前からそういうむき出しのものを感じていたのではないか、と思った


まとまらないので、追記があれば書きます
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この記事に対するコメント

「希望の国」みてみようかな。

最近は地震のあとのもろもろのこと、ずいぶん意識にのぼることがすくなくなったけれど、
意識の表面にはのぼってこないところでたぶんいろいろ起こっていて、西の方に夏のおわりから秋にかけて旅行すると、東京とはやっぱり違っている。

その違いは地方だから、あるいは近畿だからのんびりしているということだけではなくて、東の方の人たちは潜在的に戦闘的なモードに入っている。何気ないしぐさにすこしの硬さがある。西にいって街を歩いていると、ふわっ、と、その硬さがゆるんでいくかんじがする。

できれば、やっぱり地震に関するもろもろのことに敢えて傷をえぐるようにして、なにかをみたり感じたりはしないでいたい。けれど、きっと園子温がいっているのと同じ意味で、作り手はもちろん受け手だって、このことに今、向かわないでどうするという思いは、
やっぱりあるんだ、と思うのです。
ながはし | 2012/10/17 9:51 PM
コメントありがとうございます^^
わたしも西に行くとやっぱり違うなあと思います。
どっちがいいとか悪いとかじゃなくて、「違う」んですよね。

わたしはできれば、ありのままを見つめていたいです。
日々の悲しみも喜びも怒りもおかしさも、全部。
それのどれもに目をつむりたくない、そういう意味で園監督に共感します。
ちひろ | 2012/10/20 7:22 PM
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